poteto的ノンバイナリー

potetoについて

前回からの続き

ノンバイナリーって、もしかしたらセクシャルマイノリティーの人の中でも理解されにくいんじゃないかなと思います。私自身、わけがわかりませんもん。戸惑いしかないよ。

そもそも見た目が中性的な人であれば、なるほどねと思うのかもしれません。

「内側にどっちの性も持っている」と言うのに、見た目は完全に女性/男性・・・となると、ほとんどの人がここまでの人生を「女性」「男性」の二択で過ごしてきているのだからそのどちらかに当てはめないとしっくりこないでしょう。

”身体が女性で中身が男性なら、男性っぽい見た目で過ごすはず、それなら言ってる事が分かる。”という方が多いのではないかと思います。

それは結局は「男性は男性っぽい格好で過ごすもの」というそもそも偏見、固定観念、ラジオなんとかステレオタイプからの考えです。
中身がどうであれ、外見をどうするか、どんな風に生きるかは別の話だし、自由に選んでいくものです。みんな毎日着たい服を選んで、それは「自分の好み」で選ぶはずです。そうじゃなきゃしっくりこないはずです。みんな自由に生きたい、それだけ。

でも誰しもが持つ『絶対どちらかの性別である』論が、ノンバイナリーを受け入れにくくしているのだろうな〜となんの根拠もなく思っています。そうなんじゃないかな〜と。ふわっと。
私自身がそうだったから、自分をどちらに当てはめれば良いのか分からなくてもがきました。

無理に当てはめなくても、良いんだよ。(当時の自分と、今悩む全ての人へ)




ノンバイナリーの感覚について

ノンバイナリーと言うけれども、見た目が女性として過ごしているのだから、そうは言ってもほとんど女性でしょ?と。

違いますけど。

男性、女性はこの世に舞い降りたその時の外側の様子としてざっくり区別するだけでよき。それすらも実際はこの2択だけじゃないのだから、そもそも区分しようとするから難しい話になるのではないでせうか。とは思いますが、何やかんや身体的特徴とか生きていく上でのあれこれで性別区分が必要なのもわからなくもなくもないです。




私自信、類は友を呼ぶもので、高校、大学時代になぜかLGBTの友人・知人は何人もいました。

しかし、Xジェンダー(当時はバイセクシャルという言葉しかなかったと思います)はそこそこオープンにできても、当時はそもそも自分の内面のモヤモヤの正体がはっきり分かっていなかったですし、Xジェンダーからのノンバイナリーの概念を想像する事すらできなかったです。だからその辺の胸の内は誰にも打ち明けませんでした。おかしな病気だと思っていたから・・・照

と言うわけで過去から現在までノンバイナリーの人に実際お会いしたことはありません。

なので、ここで語るノンバイナリーは『potetoの場合』です。ポテナリー。

ノンpotetoバイナリー
  • 大前提として、性別をどれかに決められたくない
  • 外側が「女性」であることはそこそこ受け入れてはいる
  • たまにどちらかに振り切ってみたくなる
  • どっちの性別もある自分がわりと好き

    めちゃくちゃざっくりこんな感じでお伝えしていきます。

大前提として、性別をどれかに決められたくない

これは、、、これだけは、本当に。

「男性・女性」どちらかに○をしてください。のフレーズへの抵抗が尋常じゃないです。

内側が『どっちにも○したくないよぉぉ』と叫ぶのです。

なんで2択なの?なんで選ばせるの?バカなの?と毎回モヤり・・・

真ん中の「・」に○をつけたい自分を押さえつけて、毎回「まぁこのわがままボディーは完全に女性だからね」心の中で唱えてからと女性に○をくれてやったものです。(今でも一旦そう言い聞かせてから○してる)

これを何の問題もなくスルッと選べる人々を羨ましく思っていたけれど、最近は「どちらでもない」とか「選択しない」とか何となく配慮され始めていますね。

でもジェンダーギャップ感じてる全ての人、辛いですよ。どうしたら良いか分からないのが辛いんだ

外側が「女性」であることはそこそこ受け入れている

まぁ・・・どうみても女性のバディーだしね・・・と。

私は人の”そのもの”というのは外側ではなくて中身=魂だと思っているので(最近からですが)、『私という魂の入れ物の性別は女性だった』と考えています。そう考えたら楽になれました。

魂はどちらの性別も持っているので、もちろんずっとこの「入れ物」に抵抗・違和感がありました。その時の葛藤はまた別で書きます。

今は入れ物が女性だったが故にスーパーラブな夫と結婚できたので、夫が愛することのできるこの性別の入れ物でよかったぜ、とは強く思ってます。

ただ、ここで注意して欲しいのが(誰に)、あくまでも「外側が女性であると理解してそこそこ受け入れているだけ」ということです。

全人類に女性として扱っていただいて構いません、というわけではないのです。強いていうなら、『女性として扱われるのは仕方のないこと』くらいのスタンスです。

たまにどちらかに振り切ってみたくなる

これはそのままの意味です。

普段は「自分に似合う服」を着るだけですが、たまにめちゃくしゃ「ザ・女子」な服を着てみたくなったり、「どこをどうみても男に見られたい」となったりします。たぶん魂暴走中。その時はやりたいようにします。

基本的には「自分に似合うと感じる事ができる服装」で、しっくりくるかどうかで決めています。

本当はファッションに関心が薄くてこだわりもないのにカッコつけてすみません。毎日同じものを着たい人です。

ちなみにやはり中性的(?)な服が一番好きです。というかそれが一番落ち着く。どんな人でも着れそうなデザインとかお色が好きです。

どっちの性別もある自分がわりと好き

今までたくさん悩んだし、「普通」になりたいと心底願ったこともありました。

が、どっちもありでも良いんだよと心から自分自身に言える今は、そんなイレギュラーな存在の自分がわりと気に入っています。

生きづらさは他の人よりあるのかもしれないけど、多分全人類何かしらあるもんな、と思うようにしています。


悩んでいるみんな、自分だけは自分自身を否定しないで、魂に寄り添ってあげて欲しい。




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