ノンバイナリーという肩書をゲットした私ですが、ここで改めて「セクシャルマイノリティーとは、そしてノンバイナリーとはなんぞや?」を自分なりに語ります。聞いてください。(シンガーソングライターpoteto)
どんな自分を選ぶかは個人の判断
そもそも。
- 自分がどんな性別であるかは、本人にしか分からないし、本人だけが決めること
- どんな性別、性的指向を持つか、生きていく中で揺れ動きながら、自分と対話して決める
- 「これ」とカテゴライズできない場合もある
以上は大前提です。誰に何を言われようと、本人がそうだと言えばそう。それだけです。
生まれ持った外側と、内側に大してどう感じるかは本人にしかわからないとういことは本当は全ての人が知っているはずです。
セクシャルマイノリティーについて
世の中、様々なことでマイノリティーが存在しますよね。
それでも「少数派の意見も分からなくはないけどね」、となる事もあるのですが、特にセクシャルマイノリティーに関してはそうなりにくく、もがきながらやっと現代まできたような気がします。
時代の風向きと感情の話
表に出ないから少数派なのか、本当に少数なのか
「自分の性別なんて断言できるに決まっている」人はどのくらいでしょうか?
「いや、言うまでもなく女性(男性)」と断言できるのがいわゆるマジョリティー(多数派)の人たちです。
「今、きっぱり言いたくない」となんとなくでも感じたり、「なんでそんなことを聞くの?」と不快感を感じるのが、揺れ動いているマイノリティーの人たちです。
「入れ物は女性だけど、中身はどっちも」と普通の人からしてみれば訳のわからない自分を割と明確に答えられるのが振り切ったマイノリティーです。
振り切ったマイノリティーでも、「みんなに内側の自分を知って欲しい」と感じるか、「知って欲しくない」感じるかは人によります。
でも、本当はみんな「知って欲しい」側なのではないでしょうか?
「知って欲しくない」のは否定されたり嫌悪されたりすることへの恐怖や、うまく伝えられるか自信がないことからきているだけで、そんな心配がなければ「本当の自分」で生きたいですよね?きっと。
日本社会は特に、「少数派」がなぜか肩身狭く生きることになりがちです。多数だろうが少数だろうが、意見や感情なんてもともと人の数だけあるのにね。
そして「よく知らないもの」への風当たりがきつい。人というものはそうなりがちなのですが、自分が経験していないこと、知らないこと、特に、「想像もつかないこと」に対してネガティブな感情を持ってしまう事が多いです。そしてそのネガティブな感情をなぜか正当化しようとする事がある生き物。
特にセクシャルマイノリティーは、その「ネガティブ感情をぶつけ放題」にやられてきたんですよね。
「セクシャルな部分」と言うだけで(特に)日本人の向き合うのが苦手な分野なのに、その中の少数派なんてもうジャポネーゼのキャパオーバーですと。向き合いたくありませんと。
否定される可能性の方が高いのに、「これから打ち明ける、本当の自分を知って欲しいのだ。ヘケッ」とかわいいハムスターのように明るく話せるわけがない。
どんなに「自分はこうだから。」とはっきり分かっていて、そこに何の迷いもなくても、人に打ち明けるのは大きな大きな勇気が必要です。
だから、『本当に少数』だからセクシャルマイノリティーと言われているのか、『数が分からないから』そう言われているのかってずっと疑問でした。
大昔からきっとセクシャルマイノリティーの人たちはたくさんいて、今よりもっともっと孤独に感情を押し殺して生きていたんだろうなと。
本当に少数なのでしょうか?歯を食いしばってる人、どのくらいいるのかな。
その数を出すことは難しいでしょうが、とにかく「表に出すことで相手の態度が変わる可能性がある」ことである以上、表に出てきにくいのです。
でも、確実に時代は変わってきている。
「男性」「女性」の二択は「基本」みたいなもので、「他もありますけどね」とかる〜く受け入れてもらえる日も気が遠くなるほど遠くはないような気がします。
マイノリティーですと言う必要があるか
どんな多数決でも、その多数決に「参加しない」「意見を言わない」と言う立場を取ることもできます。
でも、セクシャルマイノリティーは「言わない」というよりも「言えない」方が多いかと思います。
先にも言いましたが、「言ったら相手からの対応が変わってしまうかもしれない」話だからです。
私の場合、青春時代にバイセクシャルであることは恥じていなかったし、知られても構わないと思っていました。知られて嫌われるような人とはそもそも浅くしか付き合いないだろうし、何と思われても自分自身はかまわなかったです。隠しているというより、わざわざ言うことでもないから話題にならなければ言わないという感じでした。たぶんだけどバイセクシャルあるある。
ただ、私が気にしていたのは、『それを知ったその人が、どう感じるか』です。
いや気にしてるやん、と思うかもしれませんが、ちょっとニュアンスが違うんです。
「私のことをどう感じるのかが気になる」のではなく、「そういう話で気分を悪くするタイプの人だったら申し訳ないな〜」という気持ちです。
例えば、辛いもの嫌いな人なのに無理に辛いもの食べさせることになったとしたらなんかごめん申し訳ないと思いますよね?それです。
怖い話苦手な人に強制的に怖い話聞いてもらう、みたいな。それです。それなんですぅ。
どっちもその人からしてみれば相当なストレスですよね?
その人が私にどんな感情を抱こうが、仕方のないことなんです。もちろんかる〜く受け入れてもらえたら嬉しいですが、一般の人には未知の世界の話であることは承知してるので「言ったからよろしくなっ^^」とは思いません。
私がもともと人を好きになるハードルが電柱よりも高いマンだったのもあるかもしれません。『ま、嫌われたらそれまでよ』なスタンスで生きてきたので・・・どう思われても平気だし、個人の自由だと。
ただ、もしノンバイナリーと言う言葉が若かりし頃にあったなら、私がそうであることを全人類に知っておいて欲しいと思い、苦しんだことでしょう。『誰1人として私のことを「女子」として扱わないで欲しい。でも「男子」と言うわけではなくて、どっちにも所属していて所属していないと言うか、バレー部とバスケ部の掛け持ちっていうかそもそも帰宅部っていうか・・・とにかく女子だけど女子ではないからそれだけはみんなに知ってて欲しい。』とか言いそう。
みんなを困惑させてそう。というか今も同じようなこと言ってる^^照
話は逸れましたが、自分の「セクシャルマイノリティー」の部分を相手(特に家族や友人など身近な人)に伝えていないと、「隠し事をしている」と言う気持ちになる人は多いと思います。
それがジェンダーの部分であれば尚更、「本当の自分」を出せていないことだけでも辛いのに、「言い出せない」と言う辛さもある。
でも「言う必要はない」と割り切れる相手と、「知っていてもらいたい相手」は出てくるわけですよね。
必ずしも「本当のことを言わなければならない」わけではない。重要なのは『相手に知って欲しいのかどうか』。
私は女子女子した就活スーツを着るのだけはごめんだったので、就活をしないと決めていました。たとえパンツスーツだったとしても、鞄とかパンプスとか髪をこうしなさいとか全部嫌でした。
ジェンダーで悩んでる人間には、本来の性別なのだから堂々と大声で言って良いことのはずなのにそれができなくて苦しい状況が人生を通して何回も何っ回もあります。
私の場合、絶対行きたい企業というわけでもないのに自分を苦しめてまで行く、もしくは自分を曝け出してしんどい視線をわざわざ浴びる必要はない。と思っていたので、「セクシャルマイノリティーであることを言わない」選択をしたことになります。(何度も言いますが、この当時ノンバーナリーという単語はなかったので、私の中での”女性として見られることへの確かな不快感”だけを頼りに生きていました)
人によっては入社前から知った上で就職したい人もいるでしょうし、考え方はそれぞれだと思います。
一つ言えるのは、ジェンダーの悩み抱えてる人はみんな死ぬほど悩み倒しているということ。
お願いだから優しくして。
長くなってしまったので、ノンバイナリーについては次の記事で語ります。口下手だからだらだら喋ってしまうタイプ。
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